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つくろうと思う信念
奈良 法隆寺の棟梁、西岡常一の最後の弟子、小川三夫さんの講演会が、新宿で「技を伝え、人を育てる」と題して行われました。
宮大工ならずとも、いちどは耳にしたことのある方だったので、参加することにしました。
厳しい修行をされて、数多くの弟子を育てた方であると聞いていたので、とっつきにくい方かと思っていました。 講演が始まるや否や栃木弁が少し混ざったユーモアのある語り口にすっかり聞き入ってしまいました。高校時代の学校の成績が振るわなかったことや、修行中の面白おかしいエピソードに人を惹きつける魅力を感じました。
ひとつの物事を極めた人にしかない真理を得た話はとても意味深く、勉強になりました。
小川さんは、高校の修学旅行で訪れた法隆寺の五重塔を見て、自分もこんな塔を造りたいと思ったそうです。
その頃、世界は月にロケットを送り込む時代でした。それは、1km先のハエの目に物を当てるような難しい技術だったそうですが、データーに裏打ちされた保証もありました。
しかし、1300年前にこの塔を建てた大工には何の確証もなく、ただ造るんだという信念だけで1300年ももつ建築物を建てたのです。小川さんは、ならば その心を得ようとこの道に進んだそうです。 親に宮大工の修行をしたいと打ち明けたところ、「つらく厳しい修行は流れる川を上っていくようなものだ。景色を見る余裕さえなく、つらいだけだ」と諭され ます。「おまえも川の流れに沿って下り景色を眺めながら行けないか」と、言われますが、迷わず進みました。
それから西岡常一の弟子となり、修行をする訳ですが、見習いという言葉があるように、まさしく親方のしていることを見て、感じて、技術を身につけなさいと いうことでした。手取り足取り、ここはこうだから、こうしなさいなどというような教え方はなく、ひたすら親方を真似、親方と一心同体になるような修行の日 々だったのです。何事も「こうせい、ああせい」と言うのは簡単ですが、言われたほうは考える力が育ちません。分からなくて失敗し、怒られて体で覚えていく ものです。体で覚えた事は何年経っても忘れることがありません。一見遠回りのように見えても、実際には人を育てる近道なのかもしれません。
法隆寺が、1300年経って存在していられるのは、樹齢1000年の木を1000年もたせることが出来る技術を当時の大工が持っていて、1000年持つ材 料だということを知っていたということです。 解体修理をすると当時の大工たちの木と格闘したあとがありありと分かると言います。 1000年以上経っている桧材を、山から人力だけで切り出すことすら、想像を絶するほど困難だったろうと思います。また、のこぎりなどが発明されていない 時代には、木を割って製材していました。運搬する機械も製材する道具もない時代に、いまだかつて造ったことのないような巨大な建築物をただつくるんだとい う信念だけでつくりあげました。
私たちは500年、1000年残るような神社やお寺をつくっているわけではありませんが、一人の施主が一生かけて家を建てる思いに応えることに通じること だと思いました。その人が一生をかけた財産をただひたすらに良い住まいを「つくるんだという信念」でつくりたいと思います。
(佐藤 正志)
写真は、講演会が行なわれた京王プラザホテルの45階からの眺め。遠くに建設中のスカイツリーが見えます。